胸椎多発骨折への
Spinal Instrumentation - Pedicle Screw & Rod -
術前・術後 & 課題・謝辞

Produced
Takahiro Kajiura
キーワード
Spinal Instrumentation、Pedicle Screw & Rod、胸椎損傷、破裂骨折、Takahiro Kajiura

0. 事故⇒脊椎損傷⇒手術⇒社会復帰⇒課題

 このサイトでは、2013年に起きた脊椎損傷における、事故⇒脊椎損傷⇒手術延期⇒本手術⇒術後⇒社会復帰といった経過と今後の課題を記します。


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1. 脊椎損傷: 破裂骨折&圧迫骨折

 2013年は、私にとって人生のタンニングポイントとなった。
 自分の不注意から背中を強打し、湿布薬でももらおうと痛みを我慢して、自力で夜間救急受付をする一宮市民病院へ向かったが、夜間専用入り口の前に車を横付けし(駐車場から入り口までは100m程あるため、自力歩行は不可と考え)、車から降りた瞬間その場に崩れ動けなくなる。

 その直後、通りがかりの一般市民(救急夜間外来に来た人)が病院内の看護師を呼び、持ってきた車いす(ストレッチャーではなく)に痛がる私を無理矢理載せて処置室へ。

 ここでストレッチャーに乗せ換え⇒ 単純レントゲン ⇒ CT撮影。画像の診断結果は、脊椎と肋骨の損傷。胸椎の破裂&圧迫骨折および肋骨骨折が告げられ、自分の損傷の大きさを知って痛みが倍増した。

 そして、そのまま入院したが、翌日のMRI検査の結果『当病院では、難し過ぎる手術のため治療ができない』となり転院となる。転院先は、脊椎専門である江南厚生病院の脊髄・脊椎センターに決定し、2日後に受入がOKとなり転院移動。
 転院先の江南厚生病院の脊髄・脊椎センターは、私にとって「LAST HOPE(フジTV系)」となる。

 ちなみにこれまでの主な病気・事故歴は、 1985年夏の気胸(一説では、職場環境の劣悪:換気不良Laboでの希硫酸・塩酸等の吸引)、 1994年冬の左肘脱臼骨折(スノボーでの転倒)、 2002年1月追突 aru (横から一旦停止無視の車がドン!フレームが歪み新車2ヵ月で廃車へされる)、 2004年3月のポリープ切除 polyp (内視鏡大腸ポリープ切除)、 2005年9月外壁が車に落下 (コンクリート外壁材が剥れ落下し、ボンネット&フロントガラス破損。約65万の高額ディーラー修理費は保険でカバー)、 2012年冬の胃潰瘍(投薬治療)、2012年12月帯状疱疹 houshin (投薬治療)である。



Fig 1.  損傷部の MRI 画像(左側)と CT の 3D 化画像(右側)。( DICOMファイル提供:一宮市民病院 )

   Th 5 / 8 / 9 /10 骨折(胸椎の 5番、8番、9番、10番が白く映っている。特に9番は1/2以下に潰れさらに、後方に突出し脊髄まで数ミリ)
   Th 5,8,10 = 圧迫骨折, Th 9 = 破裂骨折によって脊椎が後方湾曲している。(猫背がさらに湾曲し超猫背化)



2a.  2b.  2c. 

Fig 2a.  腰椎の骨密度測定(D217骨塩定量検査 DEXA法 = 360点:江南厚生病院)。

 BMD(Bone Mineral Density = 骨密度)は、YAM(若年成人の平均値:20歳~40歳)の80%(79~80%)。
 骨粗鬆症(70%以下)ではないが、骨量減少といわれる骨減少症は70%~80%なので、TAMと骨減少症の境界値である。
 同年齢比較では83%なので17%低い。
 骨密度の低値化には、喫煙やアルコール・カフェインの摂りすぎや運動不足・ストレスなどの生活習慣や、背が低い・やせているや遺伝的問題などの体型・体質・病気が挙げられ、この脊椎の骨密度の低下傾向はストレスやスマート体型などが原因であろう。


Fig 2b.  左大腿骨の骨密度測定(DEXA法:江南厚生病院)。

 BMDは、YAM(若年成人の平均値:20歳~40歳)の91%(全体)。
 同年齢比較では99%なので平均値といえる。


Fig 2c.  ディスクに入った DICOM ファイルを MacBook の OsiriX で読み込み、その後 iPad2 と iPod のアプリ Osirix HD へ Dicomファイルを転送し CT & MRI 画像のモバイル化。

 iPad2 の2画面表示は、左右の画像が連動しており、診たい部位(左)の断面が表示(右)される(図中のオレンジラインが対照軸)。




mr 2d.  mrt1 2e.  mrt2 2f. 拡大画像内右端の【>】クリックで、7枚閲覧可能 

Fig 2d.  MRI - T2 & T2 強調画像:第5胸椎から第12胸椎までの脊髄の状態。拡大画像内右端の【>】クリックで、12枚閲覧可能( 2012/3/7:画像提供 = 江南厚生病院)

 Th 5(第5胸椎)~Th 12(第12胸椎)間の脊髄の状態を OsiriX にて各部位にて表示すると明らかに Th 9 の縦断面(左図)からは、骨は、後縦靭帯を押して硬膜外腔に侵入し、脊髄の数ミリ手前まで及んでいる。Th 9 の横断面(右図)は、脊髄(黒い中心の円)の周囲にある硬膜外腔(白いドーナツ状)の状態は他の部位とは異なり、硬膜外腔は不明慮で、突出した骨片が中央右側から脊髄に刺さっているように診える。


Fig 2e.  MRI - T1 & T1 強調画像:第9胸椎付近の拡大。拡大画像内右端の【>】クリックで、7枚閲覧可能( 2012/3/5:画像提供 = 一宮市民病院)

Fig 2f.  MRI - T2 & T1 強調画像:第9胸椎付近の拡大。拡大画像内右端の【>】クリックで、7枚閲覧可能( 2012/3/5:画像提供 = 一宮市民病院)



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2.  突然のオペ延期

 転院直後の江南厚生病院でも胸の痛みと呼吸困難を告げたが、『受傷時の衝撃によるものでしょう!』と軽く流され、スル―された。
 また、毎日の検温時とDrの回診の際の『調子はどうですか?』の問いには、毎回『胸が痛い』や『呼吸しにくい』を告げ、『30年程前に気胸をしていますが、再発したのでは?』と何度(回診Drが日替わりするので)か訪ねてもみたがスル―された。確かに気胸ではなく血胸なのだからX像などは異なり、気胸の像はどこにも無いので“気胸ではない!”ことになる。

 しかし、手術直前の麻酔科医の問診で『胸がズート痛くて、呼吸がし難い!』と告げると、それは『変だな~!』となり再CT検査診断。
 そして、なんと、手術開始予定約2時間前にオペがキャンセル。オペの付き添いのため休暇を取った妻も唖然!

 オペ延期の理由は、* 肋骨骨折&血胸 * をスル―していた為であった( 肋骨骨折:CDの3D画像その拡大 /血胸:下図の3a、3bは、ほぼ同部位の CT の 2D 画像の比較を参照)。 そもそも、転院直後の肺活量の検査では約、1000ml 台しか出づ、かつてトランペット奏者であったので 4000ml を下回ることは変である。
 肺活量推定正常値とされる、男性={27.63-(0.112×年齢)}×身長の式からも{27.63-(0.112×49)}× 173 ≒ 3831 ml となり、1000ml 台は少な過ぎでしょう!!

 もし、麻酔科医の『変だな~?』が無かったら、全身麻酔から覚めた後での自呼吸再開時に、肺活量の不足から痰を切ることが出来ず、ヤバかったらしいとのこと。(でも、再度、気管チューブ挿入、痰の吸引・除去等の対処があるのでは?と、素人には思えるが・・・。)

 Better safe than sorry . 用心するに越したことはない。全身管理をする麻酔科医と、チーム医療に感謝・感謝。



  

Fig 3a 左.  転院時のCT画像
       (2013/03/07) Th11( 第11胸椎 )の位置を基準に青ラインが 高位。黄色ラインの縦隔縁の変位が大。( DAICOMファイル提供:江南厚生病院 )

Fig 3a 中.  キャンセルオペ直前のCT画像
       (2013/03/13) Th11( 第11胸椎 )の位置を基準に青ラインが 中位。黄色ラインの縦隔縁の変位が中。 ( DAICOMファイル提供:江南厚生病院 )

Fig 3a 右.  本オペ前のCT画像
       (2013/03/18) Th11( 第11胸椎 )の位置を基準に青ラインが 高位。黄色ラインの縦隔縁の変位が小。 ( DICOMファイル提供:江南厚生病院 )




  

Fig 3b 左.  転院前のCT画像
       (2013/03/05) 左右の肺(黒い部分)のうち画面向かって左側の肺(患者右側)の一部に血液が溜まっている( DAICOMファイル提供:一宮市民病院 )

Fig 3b 中.  転院11日後のCT画像
       (2013/03/18) 左図にあった白い部分は消えている。(DAICOMファイル提供:江南厚生病院)

Fig 3b 右.  損傷約10週前のCT画像
       (2012/12/25) たまたま、前年末に受けた内臓の検査時のCT画像 (DICOMファイル提供:稲垣医院)




* 通常通り、オペの前には手術説明書・同意書 といった事務手続きがあり、同意書へのサインが必須である。手術説明書には、医学専門用語が並んだ文章となっているが、要は“手術に伴う死亡や障害が残ることもあるョ!”ということである。(モンスターペイシェント へのリスク回避:医療訴訟対策 でもあろう)
 なので、半世紀に渡るさまざまな褒められない行動や親不孝を反省し、最後ぐらいは“人のため”と、臓器提供意思登録カード ZOUKI を病室のTV台の上に置き、もしもの事態にスムーズに臓器提供できるように備えた。
 そのカードを見た看護師の1人は「患者さんが、臓器を選ぶかもしれませんョ!」と、臓器提供といった事態の可能性(オペによる脳死等)を否定し、オペは成功しますよ!と、安心するようにジョークで表現してくれたのだ。
 臓器提供意思表示は、以前より表示しており「臓器提供意思登録カード」「自動車運転免許証」「健康保険書」 の3ヶ所だ。



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3.  手術 Spinal Instrumentation - Pedicle Screw & Rod -

 オペのキャンセル7日後にやっと本オペ。血胸も落ち着き、呼吸困難が和らぎ、肺活量の検査は約 2800mml まで回復。
 そして、麻酔科医のOKをもらい、骨移植を含めた約5時間の予定のオペが下図で始まった。



出典:【江南厚生病院フロアーガイド】 http://www.jaaikosei.or.jp/konan/innai/floor3.html



 オペ後の全身麻酔から無事意識が戻り生還した後、激痛の地獄が始まった。まるで、斧で背中を刺され、その斧をグリグリと抉られる様な感じであった。
 そのため、数時間の間に何度も『痛い~。殺してくれ!』と叫び、担当の看護師は『せっかく手術したのだから、殺せれません!』と叫び返された。
 座薬の鎮痛剤はまったく効かず、点滴の鎮痛薬との併用。点滴のペースを上げてもらったが一晩背中の中痛みと、喉の渇き(明朝まで水分摂取は厳禁)に戦っていた。



 

Fig 4a,b.  術前・術後の比較。DICOMファイル提供:江南厚生病院。主治医:Dr S

 Pedicle Screw & Rod にて約50年間の猫背が矯正され、オペ後は正しい姿勢となる。約30年間デンタルインプラントの補綴臨床に携わり、拙いなりにインプラントに関する原稿の執筆や講演を行ってきたが、まさか自分自身がインプラントが必要となり埋入(刺入)するとは・・・。

 まあ、インプラント治療の医療従事者が、自身の脊椎にて『インプラントの有効性』と『 インプラントの安全性 』を証明した!ってとこかな。



5a.  5b.

ct 5c. 拡大画像内右端の【>】クリックで、9枚閲覧可能

Fig 5.  オペ直後 のPedicle Screw & Rod による Spinal Instrumentation のX線画像(5a) とその拡大 (5b) ならびに各脊椎の断層画像 (5c)。( 画像提供:江南厚生病院 )

 14本の Pedicle Screw と 25cmx2本の Rod の単純X線画像による左側方面観(左側)&後方面観(右側)。Th 9 (胸椎9番) にはインプラントは刺入されていない。




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4.  切痕

Fig 6.  オペ後の背中。

  オペで切開した皮膚は 皮膚表面接着剤 によるBonding。従来のような「ステープラ」や「ナイロン糸」の様な痕は無い。




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5.  入院中に卒業式で帰省した息子

Fig 7・8.  偶然&手違い?で内定が決まり、4月からの勤務( 証券保管振替機構“ほふり” )に備え2月から上京していた息子が、2013年3月25日の卒業式の為に帰省し、ついでに見舞いに来た。

( 備考1:2012年”ほふりたん”の採用倍率は約 160倍。ES : エントリーシート約800名 → 1次面接200名→最終面接10名 → 5人採用。最終面接10名中に居た最高教育機関T大学生は全て消えた。

 卒業式で授与された理学部数理学科の学位。
 名古屋大学での学位記はなんと、日本語と英語の 2パターン。グローバル化への対応なのか?
 同じ『グローバル30』 の 早稲田の学位 は日本語のみだった。国立大学に先を越される私立の早稲田大学。

 ちなみに、息子が受験した2008年度の秋には、名古屋大学理学部出身の 小林誠名誉教授(64)、益川敏英教授(68)がノーベル物理学賞を受賞したこともあって(米ボストン大学の下村脩名誉教授(80)も1960年代に名古屋大学で博士号を取得し助教授を務めた経歴を持つ。)、名古屋大学理学部の人気がセンター試験前に UP! 合格倍率が上がり、理学部受験の息子にとってはダイレクトに影響。
 “しょうがない(本音は、ありがた迷惑)!” と家族は諦め気味だったが、本人は部屋いっぱい使って 勉強した結果、偶然?で理学部に合格したみたい。だめ親からの理学部合格は、まさに、瓢箪から駒!



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6.  コルセット

Fig 9.  オペ後に石膏で型採をし、完成したコルセット。

 コルセットは3ケ月間&24時間着用。こんなの付けて熟睡は不可能。
 特に体型への適合性は最悪! 退院後に自分の Labo で大幅修正&調整して大改造。

 このコルセットの代金は約10万円(中2日で製作)。月曜日PMに型採りで、木曜日の午後装着。
 余談であるが、オペ費用の保険点数は約 277,000 点 = 277万円 の請求だった(麻酔費用は含まない)
 そして、今回の怪我で総額約 400万円 の治療費であった。(高額医療費の自己負担限度額の申請によって実際に払った金額は1/10程度ではあるが、痛い痛い出費であった)

 すでに約3週間の寝たきり(ギャッジアップ 30°まで)(ジャッキアップではない。Dr.Willis D Gatch が背上げタイプのベットを発明し、その名前のギャッジからヘッドアップ≒ギャッジアップと言われている)生活。通常、2週間寝たままの状態が続くと離床後の起立はすんなりいかないらしい。
 現に、隣の20代前半のスポーツ青年は、怪我で(スノボーのパイプにて腰椎強打)寝たきり2週間後の離床であったが、70°が限界(補助機使用)。90°の起立には4日必要だった。その後、歩行器を使用して歩行訓練に励んでいた。

 周りからは『年齢からいっても、3週間以上からの離床では立てないのはあたりまえ。だから、立てない自分の現実から、落ち込まないでね!』と“ 覚悟しろ! ”の助言を、複数の看護師さんと理学療法士さんからもらっていた。


 しかし、コルセット装着直後すぐに、“ひょい!”と立てた。しかも、歩行(歩行器や杖は無し)ができ、すたすたと病室内を散歩し、続いてフロアーデビューをしたため、看護師さんはびっくりしていた。(親父パワーをなめてはいけませんョ。多分、体重が軽いからすぐに歩けたのんでは?)

 立てたその日から退院までの地獄のリハビリは、衰えた筋力の回復。自称『虎の穴リハビリ』と命名し、一日も早い退院を目指し死ぬ気で挑んだ。その結果、数日間で5階分の階段の昇降をクリアーし、最速退院となった。




Fig 10.  退院の直前に主治医の先生にお願いして書いて頂きました。社会復帰後の世間は厳しいと予想されるが、この応援メッセージを見て頑張ろう!



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7.  オッセオインテグレーション Osseointegration

Fig 11.  歯科におけるオッセオインテグレーション( Osseointegration = チタンと骨が光学顕微鏡レベルで直接的に一体化した状態 )による固定力の推移表。

 この表からは、スクリューによる機械的な初期固定力が低下する術後3週目の時点は、オッセオインテグレーションによる固定力が向上する時期でもあるが、この3週目前後のインプラント体の安定が、その後の固定性を大きく左右すると考えられる。
 オペ後3週目といえば、退院日。退院後の日常生活&社会復帰におけるインプラント部への負荷は極力避けるべきということになる。




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8.  外科的浸襲による筋肉痛 ?  pre-emptive analgesia ?

Fig 12.  オペ後、、切開部とは異なる部位での筋肉の痛みが残った。{ 変な小さいシールは、ドレナージ(ドレーン)の穴を塞いだシール }

 特に、腕を伸ばして物をとったりシャンプーの際や車のハンドルを回す場合は肩甲骨およびその下部に痛みが走る(損傷部・手術部から離れた部位)。
 これは多分、手術(Pedicle Screw 刺入)スペース確保の為の筋肉群の展開・剥離が原因ではないのか?

 傍脊柱筋は、浅層にあって脊柱と並行に走る長い筋のグループ(脊柱起立筋群)と、深層にあって脊柱に対し対角線状に走る短い筋のグループからなる。傍脊柱筋の機能は、深層の傍脊柱筋と浅層の傍脊柱筋が協同して脊柱を伸長させる。つまり、何かを拾おうとした後、この部分の筋が収縮することで、再び直立したり後ろに反ったりすることが可能になる。また、左右の筋群が個別にはたらけば、脊柱や体幹を回旋させ、側屈の補助を行う。脊柱起立筋群は、直立姿勢を維持するはたらきをし、立位や座位のときの動作の細かな調整を行う。咳をしたときには呼吸の補助をし、傍脊柱筋全体で重力で腹筋の短縮に退行する働きをするのである。

 後方アプローチの手術手技として傍脊柱筋は、皮切後に側方へ剥離展開される。また、僧帽筋 trapezius (中部・下部線維) & 広背筋 Iastissimus dorsi は下記の通り起始は胸椎棘突起である。胸椎棘突起は脊椎の後方(背中)にある中央部の凸部で、後方アプローチのSpinal Instrumentationの場合は胸椎棘突起の左右数センチの領域は Screw の刺入ポイントとなり筋肉等の軟組織は邪魔になると考えられる。

 また、Wall(1988年)は「痛みが記憶されないように、痛み刺激の進入前に鎮痛処置をすれば、術後の痛みは抑制される」との考えからの pre-emptive analgesia の概念『先取り鎮痛・先制鎮痛』の必要性があったかも。そもそも、手術も外傷である。



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9.  退院後

Fig 13.  撤去した硬質コルセットの全貌。

 6月末、術後3ケ月検診(CT・MRI・単純X線)の結果、硬質コルセットの撤去OKとなった。しかし、今まで鬱陶でしかなかったはずなのに、いざ外すとなると“怖い!”。

 コルセットの素材は強化プラスチックなので、知人にはコツコツ叩きながら『刃物で刺されても大丈夫!』とアピールしていたぐら強固で、守られている感があり、かなり頼っていた。

 3ケ月間24時間装着していた鎧を外すと丸腰状態。人が近づいてくるだけで背骨がまた“グシャ!”となる気がして、恐怖・不安は10日程続いた。コルセット装着で、腰周辺(腰椎・骨盤)の稼働を固定されていたため、装着中の3ケ月間は背筋・腹筋をあまり使うことはあまりなかった。その影響で、筋力はダウンしたようで(腸腰筋・脊柱起立筋/大殿筋・腹直筋等の筋力が弱まり、骨盤が前・後方にフラフラと倒れやすくなった)、コルセット撤去後に腰痛が生じた。

 また、50年近く共にした猫背姿勢が脊椎固定ロッドによって胸椎は屈曲不可能となり、骨盤は意識しないとすぐに後傾になる。本来の正しい姿勢は、自分にとっては違和感でしかないが、理想姿勢に向けてトレーニングあるのみ。
 脊椎損傷や脊椎骨折、後遺症をググる(ネット検索)と、術後に痛みやしびれ等の生活・就業の障害が現われる辛い事例が多々ヒットしたことからも、中長期の後遺症との戦いの覚悟は必要である。まさに「もと通りにはならない!上手に一生付き合う!」ことであろう。



HUMMER プレート

Fig 14.  新車のHUMMER。

 新車は、損傷部に負荷がかからないような前後サスペンション付きの自転車。折りたたみ式のバイクなので、車に積んで遠出もOK。今まで乗っていた自転車は電動自転車で超楽ちんであったが、100%人力の自転車のペダルは、体力が無いためなのか非常に重~い。やはり、筋トレ、リハビリは必須だ。



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10.  課題

 * 以前、早稲田の人間科学部で、医療現場での点滴や飲み薬等の投薬ミスといったリスク回避から、看護師によるダブルチェックや薬剤包装・表記の形や色を変えることによる有意性の研究を学んだことがある。今回の入院先では、退院時まで患者の腕に巻かれた患者IDコード、電子カルテ、薬剤投与時のコードの3照合(Ⅰ.患者コード、Ⅱ.電子カルテ内の処方指示コード、Ⅲ.薬剤のバ―コード)と患者自身のフルネーム発声との確認が毎回行われており、投薬ミスのリスクは考えられないと感じた。



 * 損傷部を保護するためのコルセット装着は、その保護領域周辺の筋力低下となる。この筋力の低下、はコルセット撤去後の回復期間を大きく左右する。スムーズな社会復帰には、損傷部に余剰な負荷がかからないような筋力維持が重要と考えられる。そこで、TV通販などの電気・振動刺激を利用した、筋肉トレーニング器具などの活用を、治療中からできないのかと提案したい。



 * 転院時の情報の伝達:整形外科領域では、単純な肋骨骨折は 「バストバンド」 で圧迫固定といった治療方法もあるが、日常の臨床では安静にしていれば自然に治ることからも、治療優先順位は脊椎損傷が先となり、肋骨骨折は自己治癒力に頼り経過観察となる。

 しかし、肺実質の損傷等の胸腔内臓器損傷 (Fig15.参照) の合併の場合は軽視せず、損傷部位とその状態の把握が必要である。血胸が認められたということは内臓等の損傷があり、出血しいたことであろう。転院前の市民病院では肋骨骨折のみは確認済で告げられていた。


Fig 15.  肋骨骨折における肺実質の損傷。


 * 術後、担当医ならびに主治医の先生は、毎朝(AM7:15頃)・夜(PM8:00頃)に『調子はどうですか?手足の痺れ・麻痺はない?』と、ご多忙でお疲れにもかかわらず病室に寄って頂き、大変心強かった。こうした患者への気遣い心遣いの姿勢こそが、本当のDrの気持ちの表れだと思う。

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11.  謝辞

 今回の事故で医師、看護師、理学療法士、家族といった周りの力(治療・看護・リハビリ・支援)が無ければ、今の健康的な自分はなかった。

 諸先生方、看護師の皆様、そして妻と息子に、心から感謝申し上げます。



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11.  番外リンク・資料

* 2012年 日本色彩学会第43回全国大会 in 京都大学 予稿原稿
* CiNii 文献検索
* J-GLOBAL 包括的文献検索
* 経歴


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公開日: 2013-04-15; 更新日: 2013-10-10;
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